葉っぱ日記

日々のあれこれを。気づいたままに書いています。

梅雨明け

梅雨があけて
カラッとしたお天気。

洗濯物がドンドン
乾くようになって
それが、もう
ただただ嬉しい。

息子の学校でも
コロナの感染が判明したり
近所の銀行も
窓口が閉鎖されたり。

思うようにならない
どうしようもないことも
たくさん
たくさん
あるけれど。

だからこそ
カラッと。

さっき
干したばかりの
洗濯物が
あっという間に
乾くことの
ありがたさが
心にしみる。

嬉しいことも
素敵なことも
日常には
やっぱり、あるよ。

あいかわらず
次男の
「いないいないパァ」は
最高だしね。

うん。
そうやって
暮らしていこうと思う。

私であること。

「私である」ということを
何よりも大切にしたい、と
このごろつくづく思う。

どんなじぶんも
「自分」だけれど

自分の中に

「これを、生きたい
 こう、生きたい」

「こっち、こっち
これが、自分だよ」

「そうそう、これ」って。

確かな
手応えを
感じることがある。

大人になる中で
周囲をみて

あわせたり
真似たり
そうやって身につけてきた
モノサシをこえて。

深いところで
決めてきた何かが
あるんだろうなぁと
つくづく思う。

ずっと待っている
願いのようなもの。

それに、耳を傾け
それに、心を寄せる。

そのための
静けさだけは
いつもいつも
心に
抱いていたいなぁ。

できるだけ
ひとつひとつを
丁寧にえらんで

そうやって
私は
「自分である」ことを
ただ
やり続けていきたいと思う。

ランチ

「ただいま〜!
今からお母さんと
ランチを食べに
道の駅にいきたい。」

と小2の長男。
きけば
今日の授業で
近所にある道の駅の
映像をみて
無性に行きたくなったらしい。

「学校で思いついて
わくわくして。
でも、お母さん
ごはん作ってるかもなぁと
心配してたけど
作ってなかったから
ランチ、食べに行こう!」

息子から
こんな風に
ランチに誘われたのは
これがはじめて。

でも…。

「うんうん。いいね。
お父さんもいる日曜にしようか」

「今日は家でカレーたべない?」

動き回る
1歳半の次男と
2年生をつれての
大人一人の
外食。

大変にきまっている。

一応抵抗してみたけど。

「いややいやや。
絶対いきたい!!」と。

普段から
わりと
聞き分けのいい長男が
珍しくねばるので

「わかったわかった。
じゃあ行こうか。
そうだね、わくわくした思い付きが
実現するってすごくいいよね」

と。
三人で近所の道の駅へ。

迷った末に
「カツ定食」を選んだ息子。
大人一人前を
すごく嬉しそうに
食べ始めました。

動き回る1歳半を
あやしながら
鰻の玉子とじ丼を
かっこみ
抱っこ紐で
寝かしつけるために
となりで立って
ゆらゆら揺れつつ
待つこと約15分。

その間
モクモクと
食べ続けた息子。
ほとんど完食でした。

大きくなったなぁ。

たまには
こういうのも 
いいね、と言うと
ニコッと
歯の抜けた
可愛い笑顔が
かえってきました。

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またまた雨。

雨がすごいですねぇ💦

裏山から
水路にゴウゴウと
茶色い水が流れてきています。

梅雨というより
台風のように
うちつける雨…。

各地の大変な状況に
胸がいたみます。

先週2日間
そして、今日。

ここのところ
大雨警報による休校が
続いています。

ええ、ええ。
もちろん、ヘロヘロです(笑)。

でも
子どもたちと
安全に
すごせることが
今は何より。

床に米粒が
ちらばって
いようが
足の裏に
それがくっつこうが

ひたすら
深呼吸して
すごしています。

雨。
どうかおだやかに
過ぎていきますように…。

そうか。そんなにイヤなのか。

結局のところ
私は
苦手なんだろうなぁ。

「イライラ」とか
「ムカムカ」とか

「ドンヨリ」とか
「グッタリ」とか

「ビクビク」とか
「グサッ」そして「バタリ」とか(笑)…。

生きる上で
必ずくっついてくる
こういうあれこれに
やたらと疲れて

疲れ果てて
ホトホト
嫌になっているんだろうな。

そういうところがあるな、うん。

生きながらにして
「死んだあと」みたいに

どっかで
こういうことから
完全に
自由になろうと
している。

なんてことだ。 

それは
やっかいだよ。

そこから
はじめたから

せっかくの
「愛したい」が
「慈しみたい」が 

変な方に
進んでしまって
道に迷っちゃったんだよね。

そうかぁ。

ふぅーっ。(深呼吸)

まずは、
生きていくのに
必ずくっついてくる
あれこれに

とにかく
「イヤイヤ」言ってる
この
私のことから。

「イヤだよね…」って。
「なんでだろうね」って。

耳を傾けてみようかなぁと思う。

ところで
今朝
長女(4才)が

「すきな〜こと〜
ばかり〜
ある〜ん〜だよ〜
すきな〜こと〜も〜
だいすきな〜こと〜も〜
ある〜ん〜だよ〜」

という
いつもの 
「好き」を連発する
自作の歌を
歌いながら
何やら紙にかいていた。

私のところにもってきて

「お母さんここに
かじょく(家族)
だいすきだよって、書いて」

というので
「わかったわかった」と
バタバタしながら
書いた。

そしたら、
それを大切におりたたんで

別室で
次男に
添い乳をする私のところに

「あけてみ」と
またもってきた。

開くと

「かぞく
だいすきだよ」と
書いてある。

私を見る
嬉しそうな
長女の顔。

「ああ〜この子は
本当にいいなぁ」と

「のびのび安心して
生きてるなぁ」と。

つくづく感じた。

長女はとにかく
好きと嫌いが
ハッキリしていて
「イヤなこと」は
「いやだ〜!!」と
ものすごい大声で
力強く拒否する。

「夜ご飯いやだ〜!!
お菓子だけ食べる〜!!」とかね(笑)。

こんなふうに
私も
「イヤだ〜!」が
言ってみたいよ。

それが
「正しい」かどうかは
おいておいて。

あれもこれも
「イヤだ〜!!」って
言い放ってみたいなぁ。

ああ、そうか。
いつの間にか
私。

「イヤー!!」
を封じてきたな。

自分に言わせてこなかった。

「今、私がイヤって言ったら
 回らなくなる」

「イヤって言ったら
相手が困る」

「そんなこと言ったら
大変なことになる」

いつ頃からだろう。

いつしか
自分の「イヤー!」は
後回し。

なかったことにしたり
置き去りにして
やりすごしてきたなぁ…。

でも、長女をみると
本当に楽しそうに
好きなことに熱中して
生きている。

少々、周りが困ろうが
「イヤーっ!!」と
言い放って
自分でい続ける。

それは、もう
清々しいほどに。

そうかぁ。
これか。
私が道に迷ったポイントは。

「イヤイヤ」期を
安心して
生きられなかったんだね。

そりゃ、そうだ。
4歳の私が
生きていた家族に
「安心」はなかったな。

険しい母の横顔がうかぶ。

「イヤだー!」とは
相手と自分に
境界を引くための行為。

あのときの
私には
境界が引けなかったね。

お母さんが大好きだったから
家族も大好きだったから
これ以上
困らせたり
哀しませたり
したくなかった。

この「イヤイヤ」を
安心して生きられなかった
小さな私が
ずっとここにいたんだ。

そりゃ、
自分と他人の境界が
うすいわなぁ(笑)。

愛を注ぐなら
ここだよね。

この
「イヤイヤ」って
ずっと言えなくて
根底でくすぶっている
私に、だよね。

これから
ここから。

だいじに
だいじにしようと思う。

「イヤだ!!」と
言っている自分のことを。

私が長女にしてきたように。

今度は
私が
「もう安心だよ」
「イヤだって言っていいよ」って。

今日から
いまから
私のことを
育てていこうと思う。

まやかし。

「愛してる」感覚そのもので
生きてみようと試みて
ちょっと見えてきたこと。

私って、自他の境界線が
うす〜いから
ついつい
「私」に愛をむけるハズが。

「私」をくぎって
「私」を愛するよりも
目に見えるものすべて
自分の世界にあるものすべてに
愛を放射するような
そういう感覚で
「ただただ愛しいな」って
やっちゃう。

そうすると
ちょっと問題がある。

不快感とか
不安とか
迷いとか
イライラとか
寂しさとか
傷つくこととか
そういうのが
ホワーッと
薄れてしまう。

そして
生々しい感覚がうすらいで
ふんわりと
ただ、気持ちいいばかりになり
地に足がつかなくなる。

「生きている身体」を
置き去りにしそうになる。

哀しいを哀しいのまま
苦しいを苦しいのまま
迷いを迷いのまま
体験することが
出来なくなってしまう。

「そこにも愛を」って
やっちゃうと
ものすごい勢いで
それらは
別物になってしまう。

これってすごい魔法みたいだけど
どこかにまやかしを感じる。

こういうのは
前にもやったんだよね。
でも、これって
「逃げ」なんだよ、と
今回は早めに気がついた。

難しいな。
ただ、「愛する」だけのことが。

シンプルにやりたいと
想ってるんだけども(笑)。

酸っぱい。

1才4ヶ月になった
次男。

頭には
少しパーマがかった
フワフワの髪。

ここのところ、
汗をよくかいて

そっと鼻を近づけてみると

酸っぱい香りが
するんですよ〜。

霧吹きで
お酢でもかけたのか?!

っていうぐらい。
すい〜
すい〜
匂いがします。

きっと
寝ながら
発酵してるんでしょうね(笑)。