葉っぱ日記

日々のあれこれを。気づいたままに書いています。

「解離」

いつの頃からか
ごくごく小さい頃から
ボーっとしていました。

ボーっとしながら
片足を
「目の前の現実」に  
もう片足を
「ここじゃないどこか」に
おいてきたように思います。

学校で
くりかえし
思い描いていたのは

「身体がふわりと浮かび
天井すれすれ
蛍光灯をよけて
高い窓から
ここをでていく」
ということでした。

「ポカンと驚いて
天井を見上げてる
クラスメイト」なども
思い浮かべたりしていました。

「ここじゃない、どこか」
「どこか、遠いところ」

そこに
「本当の世界」があって 
きっと、いつか。
大人になれば
そこに行くんだ、と
思っていました。

それは、夢のような魔法でした。

何があっても
どんなことがあっても
大丈夫。

「本当の私は
ここにはいないから」

転校して
イジメにあったり
為すすべもなく
色々と
理不尽な目にあっても

「大丈夫。大丈夫。
本当の私はここにはいない」

「いつか美しい本当の世界から
お迎えが来るから。大丈夫」

その魔法は20才まで
私を守ってくれました。

だけど20才をすぎて 
「お迎えなど、こない」
「ここで、生きるしかない」
と気がついた時。

私にとっての
「ここで生きる」という
ものすごい絶望が
やってきました。

そこから
ひきこもったり
摂食障害になったり
適応障害になったり
紆余曲折しながら
心理療法をうけ
心理学を学び
すこしずつ自分を理解して
すこしずつ自分を
大切にすることを
自分を尊重することを学び

気がつけば
大好きな家族と
ありがたい友人に恵まれて
田舎で暮らす毎日になっていました。

でも、どうしても
そんな「幸せ」であるハズの毎日でも

ボーっと
「心」ここにあらずになり
不安になったり
鬱になったり
甘いものを過食したりする。
そういう自分がいて
なんでかなぁと思っていました。

ここ最近読んでいる

"それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?"
(大嶋 信頼 著)

という書籍で「解離」という
わかりやすい表現に出会いました。

以下抜粋↓

"本来感じているはずの刺激にその場で反応できなくなる状態を「解離」"

"極端な〝解離〟であれば、別人格に変身してしまうから、ホスト人格(ホスト人格=中心となる人格)が感じてるストレスを感じないでいることができる"

"〝根底の恐怖〟を回避するために別人格に変身する訳だから、根底の恐怖に結びつくようなストレス刺激で変身して別人格にストレスを負わせてしまうから「私は何も感じていませ〜ん」となれる"


私の場合「別人格になる」というより
自分が「ここにいない」状態になりますが。

でも
「自分を守り
恐怖を回避し
何とか生き抜く」 

「現実から自分を逃がす」

という意味では共通しているなぁ。

小さい頃から
この世界を生きるために
身につけてきた
心のメカニズムの一つなんだと
改めて実感しました。

何がそんなに苦しかったのか。
ここで、掘り下げることはしないけれど。

生まれ持ったもの
それから
生きてきた、環境。

その両方を生き抜くために
必要なことだったんだろうなぁ。

やっと訪れた平和な日々に
なかなか武装解除できない自分。

今では理由もわからないのに
こみ上げてくる
「不安」や
「焦燥感」に駆られて
ぐったり疲れてしまう自分。

やっぱり
やっぱり慈しみたい。

そう、つくづく感じました。