葉っぱ日記

日々のあれこれを。気づいたままに書いています。

「統合」をやめてみて見えてきたこと。

さて、こんばんは。

並木良和さんの「統合」をやってみて
「良かったな」と感じる部分
「あわないな」と感じた部分

ちょっと書いてみようと、思います。
まず、「あわないな」と感じた部分。

これは、「統合」をやめた経緯で
触れたとおり。

目の前の大切な人や
友人、知人
これまで自分が築いてきた
様々な関係を
「眠っている」相手として
隔てていくような感覚になったこと。

並木さんも何度も触れられているとおり。

「世間話をしたら眠ります」
「あたかも、外で何かが起きている
ように他人と話すことで眠ってきました」

という表現を
私なりにまっすぐにとらえて
実践すると、やっぱり
社会的にだんだんと自分から
他者と距離をおくような結果になりました。

ここがネックで、「統合」をやめました。

で、やってみて
「良かったな」と感じる部分。

これは
自分の感情と自分を
同一視しなくなったこと。

これまでは
「イライラ」や
「モヤっと」や
「不安」や「怖さ」を
自分そのものとして体験し
その感覚そのままに
ありもしないことを予測して
グルグルと思考をめぐらせることが
普通にありました。

でも、
「これは周波数」として
捉え直すことが出来て
しかも、これは
「自分そのものではない」
と理解することで
ネガティブな感情、感覚の影響を
長々とうけなくなったこと。

これは、とても大きかったです。

しかも、これ
認知行動療法」や
「ACT」といった心理学の理論にも
適った、とても効果的なやり方。

バイブレーションビルディングも
心理学の手法でいう
フォーカシングなどにも
通じていて
自分の感情を扱う方法としては
とても有効なのです。

ただ、
「私のものではない」と
ネガティブなもの、不快なものを
完全に手放してしまうと
それに附随したそもそもの本音も
わからなくなってしまいます。

だから、手放すことは、しません。
かわりにイメージの中で抱きしめます。

例えば
だんなへのイライラは
そもそも、その下にある本音としては
「寂しさ」だったり 
「もっと解り合いたい」という
願いだったりします。

そのだんなと
「わかりあいたい」気持ちをも
手放すことを、私は求めていなくて。

それよりも
そっと、そのネガティブな
感覚をイメージの中で
バイブレーションビルディングし
繭につつむようにして光にかえて
大切に抱きしめてから

「じゃあ、こうしよう」と
ネガティブの下にあるの
そもそもの本音に耳を傾け
行動を修正したり
新たに選択する幅を広げる。

そうすると
自分のすべてが、今ここで
大切にされている、という
とても「満たされた」感覚になります。

これ、とてもいい感じなので
しばらく続けています。

「素晴らしい私」になろうと
何かをコツコツやるのもいいんだけれど。
まずは「今、ここで」満ち足りていく。

いつだって
私にとってはそれが
好みなのだと感じます。