葉っぱ日記

日々のあれこれを。気づいたままに書いています。

「ありかた」というゴール

ふと、いつでも
自分に聴くようになりました。

胸に手を当てて
「心よ」って。
「どうしたい?」
「どうしたらいい?」
「これは?」って。

くりかえしていると
だんだんと繋がるような
感じがします。

時として意外で。
それなのに
しっくりくる。 

この「心」から
返ってくるものが
面白いです。

「動揺してる」って思っても
胸に手を当てて聴いてみると
ここは全然、静かで
「平常」だったりする。

アタマで思い込んでいるだけで
本当は大したことないんだな、と
感じたりします。


「私はなあに?」

「この人生で何をしたいの?」

ずーっと根底にあった問い。

何をやっても
何だかしっくりこなくて。

どこかいつも
心細くて

迷子になったような
感覚がありました。

もう、長いこと。
たぶん
小学校の高学年あたりから。

いつしか
問い疲れて。
そんなこと、もういいやんって。

忙しい日々に
目をそらしても

「ずっと宿題がのこってる」ような
「何かが欠けている」ような
感覚が続いていました。

外を探しても
全然みつからないから

何度めかのチャレンジ。
今回はうけとれるかな。

くりかえし
くりかえし
自分に、聴いてみました。

この胸の
びっくり箱から
何がでてくるのかなぁ。

しっくりくる感覚を
味わいながら
一つ一つ
たどっていきました。

そしたら、やっぱり
こういうことらしいのです。

「そもそも

慈愛に満ちた存在が

肉体をもち

様々な

痛みや不快

孤独

絶望を

体験しても

本来の状態を思い出せるのか

本来の状態でいられるのか」

そういうチャレンジを
しに来たらしいのです。

ああ〜そうか。
と、妙に納得。

ずっと不思議だったのです。
なぜ、いつも
私にとっては

「何をなすか」より
「どうあるか」が
大切だったのか。

お金に象徴される豊かさも
目に見える成功も

「どんな私であるのか」
ということが
調わなければ 
全く意味がないのです。

「これかな?」って
何か、目に見える形を
追い求めようとしては

「ちがう、ちがう」
って、いつも違和感があって。

ずっと探してきたのだけれど
やっとやっと
わかりました。

私という人は

ゆったりとくつろぎながら
この命と
この世界の
美しさを
愛でるような感覚で
呼吸していたら

それが、すべて。
それが、私のゴール。

ずっと
そういう感覚だけは
変わらずにあったのです。

ああ〜そっか。
もう、これでいいのかぁ。

フッと楽になって
やっとやっと
落ち着いたような
感覚があります。

「ありがとう」

って息を吸っては

「愛してるよ」

って息を吐く。

フワッとゆるんだ
身体の中を
風がとおりぬけていく。

この瞬間を
そうやって
すごしていこうと
思います。