葉っぱ日記

日々のあれこれを。気づいたままに書いています。

人であること。

大切な人を大切に想う。

大切だから、
その人が「痛いよ」って
泣いていると
哀しくなる。

たとえ、明日には
何もなかったように
笑ってくれるとしても
今は哀しくなる。

大切な人が
「寂しいなぁ」って
つぶやくと
心がキュッとする。
キュッとするから
「一緒だよ」と
精一杯、伝えようとする。
今、伝えようとする。

心は揺らぐ。
寂しさ、哀しさ、苦しさ
やるせなさ、切なさ…。

「不快」という一言で
そのすべてを手放してしまったら
大切な人を
「大切」と感じる私をも
手放してしまうことになる。

「苦しさ」「哀しさ」「寂しさ」も
そのうしろには
この身体をもって、ここで
「生きよう」
「生きよう」とする
私の根っこがある。

「生きたい」 
「生きたい」という
私の叫びがある。

大切な誰かを
精一杯「大切にしよう」とする
私の祈りがある。

どうか、あきらめないでほしいと思う。

感じることを
ここで
七転八倒しながら
それでも
生きている、ということを。

「私のものじゃない」って
不快なすべてを手放して、
生まれる空白に
私は安堵してきたけれど。

でも、それは
すこしずつ
すこしずつ
「私としては生きる」ということを
手放し、あきらめ
私という存在そのものを
抹消していくことに、他ならない。

神になんて、ならなくていい。
人であってほしいと 
生きていてほしいと

今は心から心から
そう想う。