葉っぱ日記

日々のあれこれを。気づいたままに書いています。

脱スピ③着地点

こんにちは。
雨ですね〜☔。

娘はポンチョをきて保育園へ。
パタパタとポンチョをひるがえして
水たまりに突入。
とても楽しそうでした。


さてさて、見えてきたのは
私の中にずーっとあった
「生きていくことそのものに対する不安」
でした。

「支えがほしい」
「お守りがほしい」 
「こうすれば大丈夫」
「生きていても大丈夫」
そんな何かが、ほしい。

小さい子どもが
守ってくれる大人を見失い
すっかり迷子になって
ポツンと途方にくれているような
そんなイメージが浮かびました。

そっか。
やっぱり、そこか〜。

私の中には未だに
子どものまま
怖くて、不安で
縮こまっている私がいるんだよね。

自分が存在していることを
こうして、生きていることを
どこかで、もう、やめたがって
「怖いよ、消えたいよ」って
つぶやく子がいるんだよね。

一時期、そんな私に
たっぷりと付き合う時間をとって 
自分を抱きしめることを学び
自分をケアすることを学び
私は、回復し
子どもまで産むことができた。

だから、「もう大丈夫」って。
子育てに夢中になって
自分のことは、ついつい
ずーっと後回しにしてきたよ。

知ってたよ。
知ってたけど…
そうか〜。そこかぁ。

はぁ〜〜〜って。
深く深く息をはきました。

それが見えたからには
それがわかったからには
もう「腹をくくってケアしよう」と
思いました。

知らず知らずに
自分以外の誰かに、何かに
「答え」をもとめ
「支え」をもとめていたけれど
本当に私を抱きしめられるのは
やっぱり、やっぱり私なのだから。

ノートに一つ一つ
こみ上げる声を、聴いて書いて。
そして、一つ一つ
寄り添って抱きしめて
うけいれていきました。

それが
どんなにネガティブであっても
どんなに不快に感じられても
「存在していいんだ」と
私のすべてに染み渡るように。


「存在していいんだよ」

「存在していて、いいんだよ」

そうやって、抱きしめるたびに
自分の中の何かが
豊かに広がるような感覚がします。

不安で途方にくれていたような感じさえ。
それも、これも
「生きる」ということ、そのものの彩り。

そして、それは
こうして、うけいれていけば
ただ、ただ、ここにある色彩の一つ。

私はこれを「生きる」ために
ここに来たんだよ。
私はこうして「彩る」ために
生きているんだよ。

こうやって自分を抱きしめて
「愛しい、愛しい」と見守る私がいれば
もう、大丈夫。
あとは、のびのびやろう。

のびのびやりながら
いつも、そんな私を
「見守る私」に戻っていこう。
 
そう、思えました。

生きていることは、やっぱり美しいなぁ。
そう、しみじみ感じた、着地点でした。