葉っぱ日記

日々のあれこれを。気づいたままに書いています。

呼吸が面白い。

呼吸を意識し続けています。

いつも
いつも
呼吸にもどっています。

ずっと
「生きる」ということに
苦手意識があって。

「死にたい」というより
「消えたい」という感覚が
どんなに幸せな日々にも
どうしても
かすかに、やっぱりあって。

ただ、普通に暮らしていると
ふと迷子になるのです。

気がつくと
「生きている」だけで
いつも、いつも
ヘトヘトに疲れている。

なんで?なんで?と
定期的に
途方に暮れる日々でした。

今は、呼吸という
「戻る場所」がある。
それだけで
迷子になっても
「大丈夫」だと
何だかそう、感じます。

ブッダは言いました。

「生きる」ということについて。

生きること。
そこには必ず
「苦しみ」がある。

その「苦しみ」には
「原因」がある

その「原因」をとりのぞく
「方法」がある

そして「苦しみ」は
終わらせることができる。

その鍵が
呼吸にあるのだと。
ブッダは言うのです。

だから、ちょっとためしに。
「呼吸にただ意識を向け続ける」
ということを
暮らしの中心においてみました。

そしたら
面白いことに
「あ、イライラしてる」
とか
「あ、緊張してる」
とか。すごくよく
わかるようになりました。
「傷ついた」とかね。

これまで、問題は
自分がイライラしていることだと
思ってきました。
そしてイライラさせる対象を
うらめしく思ってきました。

でも、呼吸に意識をむけつつ
書籍からブッダの教えを学ぶと
それとは別の
アプローチがあることを実感します。

イライラは
私のものではなく
それは
やってきては
去っていく
波のようなもの。

本当にただ、波のようなものを
押さえつけたり
責めたり
コントロールしようとしたり。

空に浮かぶ雲の形に
罪悪感を抱くような
生き方をしてきました。

今は、それを拒まず
また、それに振り回されるのでもなく
その、イライラという波の中を
生きてみる試みをしています。

呼吸に意識をむけつつ
ただ、ひたすらに
イライラが引き起こす
身体の感覚や
寄せてはかえす
不快な感じの波を
見つめ続けてみる。

「この扱いは理不尽」
「私、召使いか?」
「もういや!いつまで続くの?」

思考のおしゃべりに
振り回されそうになったら
そっとそこを離れて
呼吸の方をむく。

「息」が硬く苦しくなっていることに
気がついた途端
「息」は変化し
少しずつ柔らかさをとりもどします。

「ところで呼吸はどうなってる?」
そう自分にきいて。

今の吐く息と
今の吸う息に
すべての意識を
集めてみる。

そうすると
イライラという波は
去っていく。

その時
「呼吸」はまるで
命綱のように
荒ぶる感情の嵐の中で
私を保つことを
しっかりとサポートしてくれます。

このプロセスが
最高にクールで
実験したり
実践したり
とにかく面白いです。